高根沢町、喜連川町、塩谷町における
廃棄物処理施設立地候補地区選定に関する検討
塩谷広域行政組合(以下、組合と略。矢板市、塩谷町、氏家町、喜連川町、高根沢町の1市4町で構成。人口約12万人)
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における一般廃棄物処理研究委員会が2000年2月2日に行った提案では、1990年4月に稼動した可燃ごみ処理施設と粗大ゴミ処理施設からなる塩谷広域環境衛生センターにおける可燃ごみ処理施設について、現状では週当たり40tが処理し切れず、鹿沼環境美化センターに処理委託していること、また、2002年12月1日から実施される可燃ごみ処理施設からの新しい排ガスダイオキシン基準値を守るためのコストに15億円がかかること、さらに、新焼却炉及び灰溶融炉の整備には80億円ほどがかかること、の3点を理由に「焼却炉の改造、増設は適当でない」という判断を示した。最終処分場の整備についても見合わせるとした。そして、「可燃ごみ処理施設再整備構想に適したもの」として、ごみ固形燃料(RDF)を挙げ、ダイオキシンの削減達成や少量の不燃物残渣、比較的安価な建設費をそのメリットとして掲げた。要するに、「ごみ固形燃料(RDF)化施設の整備が最良策と考察し、一般廃棄物処理の合理化方策については、ごみ焼却炉の改造、増設方式でなく、ごみ固形燃料(RDF)化方式の採用」を提案したのである(塩谷広域行政組合「一般廃棄物の合理化方策 提案書」2000年2月2日)
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当時の矢板市のホームページによると、一般ごみ処理施設建設の国庫補助は4分の1なのに対して、RDFは3分の1補助で、県の特別補助もあると説明された上、@塩谷広域圏内には、ごみ処理施設が1カ所しかなく、1日90〜100tのごみを工事期間中処理する場所がないことA最終処分場がないため、施設から出る焼却灰を多額の費用をかけて他県の民間施設に処理を依頼しなければならないことB現在のごみ処理施設が稼動年数に比べて傷みが激しいこと、がRDF化施設建設の理由とされた。
また、高根沢町のホームページでも、町長が「ゴミ固形燃料化施設の歴史は約20年になる。当初失敗例も確かにあったが、現在では技術的に確立し、私自身が視察をした富山、山口、三重の施設におけるダイオキシン排出量は0.01ナノc以下。さらに現在の焼却施設では熱エネルギーの利用はなされていないが、固形燃料化することによってそのエネルギーを利用することが出来る。事実、富山では温水プールや中学校、特別養護老人ホームの熱源として利用され、今は大規模温室にも利用されているようである」と説明している。
一方、地元住民が反対する理由は、@喜連川町小入地区と締結した「公害防止協定書」に違反しているA固形燃料(RDF)化施設は未熟な施設、現施設を改造して対応することBすでに20年余も松島地区で処理しており、この際別な場所に移転すること、というものであった。こうして氏家町松島地区、喜連川町小入地区及び早乙女地区では反対同盟が結成され、建設の撤回を組合に強く求めるようになった。
新聞報道によれば、2000年11月の段階で、組合側は「住民への説明は十分だった」としているが、住民側では組合を「突然建設を知らされるなど強行的な姿勢」だとする批判が起こった(朝日新聞朝刊栃木版2000年12月5日付)。2001年2月27日に組合議会(1市4町の議会から選出された21名の議員によって構成され、年2回の定例会と必要に応じて臨時会を開催する)においてRDF製造施設建設の事業費約40憶5,000万円を盛り込んだ新年度予算が上程・可決されたが、これに反対する「止めようダイオキシン汚染・塩谷広域住民ネットワーク」は組合に対する批判を強めた(同2001年2月28日付)。ただし、この採決では喜連川町議会議員3人が反対し、矢板市議1人が棄権している。当時、反対同盟は、喜連川町小入地区と組合が、1988年に結んだ「今後の新設・増設は絶対に認めず、他の地域に移転の措置を講ずる」という公害防止協定書に対する協定違反だとして、反対運動を継続した(同2001年3月1日付)。同年3月23日には、地元住民47人がRDF製造施設の建設差止めを求める訴えを宇都宮地方裁判所に起こした。同年7月2日と3日の両日は、1市4町のすべてのごみが、反対住民による道路封鎖で搬入不可となった。その量は可燃ごみ約65t(パッカー車22台分)、不燃ごみ約11t(パッカー車6台分)に達した。
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その後、7月13日に組合はRDF計画白紙撤回を決定した。組合の回答は、@新方式での施設稼動は02年12月とし、使用期限は使用開始から10年間とするA期限となる2012年11月末までに、施設を他の市町に移転するB移転を法的に確実にするために公正証書などを作成し、さらに組合議会で議決を得るC施設の移転先やごみ減量を研究するため、住民参加型の「ごみ問題検討委員会」を立ち上げるD処理の手法については白紙に戻し、RDFも選択肢の1つとして住民と協議する。処理方法は住民の合意を得ずには決定しない、というものであった。さらに、施設の移転先やごみ減量を研究するため、住民参加型の「ごみ問題検討委員会」を立ち上げると回答した(同2001年7月14日付)
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ところが、同年10月1日に組合は焼却炉の改造を断念し、「RDFの手法が現時点で最もふさわしい」と、7月の『白紙宣言』を覆した。その理由として挙げられたのは、@改造工事期に出るゴミの野積み問題に対処できないAダイオキシン類排出基準を厳しくする改正法(2002年12月から)の期限が間近であるB焼却施設を新設するには環境アセスメントで更に1年間かかる、というものであった(同2001年10月8日付)。
こうして組合と反対同盟との間での意見調整は極めて難しい状況を迎えることとなった。しかし、その後、2002年1月に組合は地元住民の了解を得ることは困難と判断し、RDF化施設の建設断念を表明するに至った。同時期には栃木県が「RDF発電と製造施設は別問題」としながらも、RDF発電計画の白紙撤回を表明した影響は大きいものと思われる。地元の強力な反対運動もあって建設中止となった、清原工業団地における県主導のRDF発電施設建設計画をめぐって、現知事は前回知事選の際、「RDFは二重投資で非効率」という見方を示していた。同年2月には塩谷広域環境衛生センターに対するダイオキシン対策改造工事予算措置がなされ、同年4月に「可燃ごみ処理施設基幹的整備工事」が着工された。この間、組合は同年3月に「焼却施設改造工事に関する協定書」と「公害防止協定書」という素案を提示した。可燃ごみ処理施設は2003年3月に竣工予定となっている。
地元3地区住民と組合との間での新たな協定書の締結をめぐって、住民側は同年6月26日に、「組合側の提示した素案を修正した独自案」を示した。大筋では先の素案の内容に沿ったものであるが、@焼却施設の改造手法をバグフィルターとするARDF化施設は認めないB次期建設候補地は現施設の半径10キロ圏外とする、という修正点を提示した(下野新聞2002年6月28日付)。しかし、とくにBに関しては、組合側が「実質的に(移転候補地の一つである)喜連川町内が除外される」として、結局、住民側との交渉を経て、同年9月10日に新施設の建設候補地を三地区の「区域および区域境から2キロ圏内を除く、塩谷町、高根沢町および喜連川町の3町のいずれか」にするという表現で調印がなされた。その他に、「排ガスに含有された物質の測定を毎年2回とし、基準値を超えた場合ただちに施設の稼動を停止すること」と「立会人に広域議会および各市町の議長を加える」という内容が付け加えられた(同2002年9月5日付)。
以上のように、塩谷広域行政地区におけるごみ処理施設をめぐる一連の経緯から、10年後の施設立地場所を検討する際の重要なヒントが見えてくるように思われる。
第1に地元住民および1市4町の住民に対する本研究会の検討経過とその内容を原則公開とすることが不可欠である。本研究会にも住民の聴講を認めるべきである。RDF化施設建設が白紙撤回となった結末には、確かに栃木県のRDF発電施設に対する取り組みが変化せざるを得なかったことの影響が大きいが、何よりも協定書をめぐる問題に代表されるように、行政と地元住民との間で信頼関係が構築できなかったことが主要因である。その根底には情報開示の不十分さがあったのではないか。したがって、各市町村ホームページにおける電子媒体上での情報公開も含めて、検討経過に関する迅速でスピーディーな内容の開示が求められる。
第2に、本研究会における取り組み以外にも「ごみ処理検討委員会」の活動こそを住民により開かれたものとする必要がある。ごみ処理検討委員会の従来の活動実績を否定するわけではないが、むしろ、本研究会をごみ処理検討委員会に対するアドバイザー機関として位置づけ、協議をより一層活性化・充実化させ、本研究会が以下で模索する立地場所の選定案を最終的にこの検討委員会が決定するようにしたい。1999年6月に組合が実施したアンケート調査の内容を見ると、1市4町の住民がいかに真剣にごみ処理問題を考えているかが分かる。再びアンケート調査を実施して、住民のアイデアをもっと取り入れるべきである。また、住民とごみ処理検討委員会との直接の相互コミュニケーションを円滑にするために、100人程度あるいは参加希望者全員からなるごみ処理住民検討委員会を立ち上げたらどうであろうか。こうしたしくみを迅速につくり、意見交換、意思決定の場を形成していく上で組合が果たす役割には極めて大きなものがあるように思われる。
第3に、立地場所の選定にあたっては、どのような諸条件をもとに判断したのか、その優先順位ないしは諸条件の組み合わせを明らかにすることである。そのための試みがまずは地理的地質的条件をもとに展開されるが、ごみ処理施設のポジティブな受け止め方への転換も含め、こうした作業を試行錯誤しつつも積み重ねていくこととする。
そこで、今後の住民との関わり方をめぐる評価項目を提案すれば、以下のようになる。すなわち、
評価項目1:「当共同研究の活動内容についての公開」
当共同研究立ち上げの経緯と、今までの活動内容について、たとえ簡易な形であってもまとめたものを各市町の広報誌とホームページ上に掲載し、今後の活動については逐一更新していく。また、この中でごみ処理施設に関する基本的知識の提供も行う。組合は建設可能な公有地についての情報提供も行う。電子媒体やFAX等と通じた意見を集める窓口を用意する。
評価項目2:「ごみ処理施設設置に関する住民アンケートを実施」
1市4町の住民を対象にアンケート調査を実施する。設置場所をめぐり組合が苦慮している旨やこれまでの経緯、住民の理解が不可欠であること、現在のごみ処理技術を述べた上で、どの地域に施設を設置すれば良いと考えられるのか、また、選定に至る手続き等について住民からの発案を募る。
評価項目3:「ごみ処理施設設置に関するシンポジウムの実施」
学識経験者、住民代表、行政担当者、企業代表者をパネリストとするシンポジウムを開催する。松島地区、小入地区、早乙女地区の代表者、弁護士にもパネリストとしての参加を呼びかける。
評価項目4:「候補地に隣接する住民の参加が不可欠」
行政と隣接地域住民との間での不信を生まないためには、両者における情報の共有が不可欠である。候補区域が浮かび上がってきたこの時点から、原則として秘匿情報は存在しないという立場に立って、とくに隣接地域住民との間で協議の場を頻繁に設けることが必要である。
評価項目5:「ごみ処理施設基本計画策定委員会の設置」
当共同研究会とごみ処理検討委員会を合同し、さらに参加を希望する住民を募ってごみ処理施設基本計画策定委員会を設置する。住民と行政との間の相互不信を融和するための組織的対応が不可欠である。各自治体のごみは自治体内で処理するという「自区域内処理」原則から議論をスタートさせる、
というものである。
以下、ごみ処理施設の設置をめぐる情報の公開と住民との関わりについて論じる。
「全国では年間に約5000万トンの一般廃棄物と4億トンの産業廃棄物が発生し、7000万トン以上が埋立処分されている。日本全体で1年間に約22億トンの資源を使っているが、その2割が廃棄物になっており、4〜5%が埋め立てられている」といわれている。
住民の主体性をいかに尊重していくかの具体化を考えた場合、例えば、参考となるケースとして、東京都狛江市(人口約7万3000人)と東京都東村山市(人口約13万5000人)、名古屋市の例を挙げることができる。
狛江市ではごみの中間処理・最終処分を市外の事務組合に依存していたが、1991年12月に市民委員12名、専門家委員6名から構成される「狛江市一般廃棄物処理基本計画策定委員会」(こまえごみ市民委員会)を発足させた。以後、全体委員会、市民部会、専門家部会を合わせて1年間に約50回の会議を開催した。「行政対住民という対立の図式から、市民同士の対話という形」が形成され、これが次のステップにつながったといわれている(図1
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参照)。94年4月にはリサイクルセンターが完成した。
こうした一連の取り組みを可能にしたのが、「市民が自ら排出するごみに対して責任を持つ」「環境保全型のための循環型都市をめざす」「ごみ半減都市の実現をめざす」という3つの理念であったといわれている。また、「ごみ半減推進検討委員会」の設置や住民に分かりやすい「ごみ半減、私の家から狛江から」というキャッチフレーズも掲げられた。
東村山市では95年4月にゴミ処理、屎尿処理施設をめぐる「秋水園再生計画策定市民協議会」が発足した。96年4月に上記市民協議会が「秋水園再生計画書」を市長に提出した。ここでは「脱焼却・脱埋立による資源循環型のまちづくり」「秋水園を廃棄物処理施設から資源化の拠点に転換し、迷惑施設から快適環境施設へ変える」「計画実現まで市民参加を貫く」の3つの基本理念が掲げられた。市民協議会は1年間にのべ167回の会合を開催した。また、市は「ごみ問題対策室」の設置を行った。
名古屋市ではNPOの積極的活動が見られた。99年2月に藤前干潟に予定していた最終処分場の建設を中止したものの、代替地の見通しがなく、市は「ごみ非常事態宣言」を行った。しかし、同時に「ごみ減量先進都市なごや」の実現を提唱し、99年6月に「ごみ減量先進都市なごや検討委員会」が設置された。以後、事業ごみの全面有料化、空き缶・空きびん分別収集の全市展開、指定袋制の導入などが進められることとなった。同年8月には「その他プラスチック製容器包装」(ペットボトル以外のボトル、トレー、ラップ、チューブ、レジ袋など)、「その他紙製容器包装」(牛乳パックや段ボールを除く包装紙、紙箱、紙袋など)の分別収集も開始された。
「中部リサイクル運動市民の会」というNPO法人も積極的に関わり、「リサイクルステーション」を設けることで、非常事態宣言以後、回収量が10倍増加した。その他、@
独自のごみ減量行動プランの提案や排出者責任を明確にした民間主導による仕組みづくりの拡充を提案A「名古屋ルール」の提案B「O―NET」(オフィス古紙リサイクルネットワークのNPO法人)C
E’sカード(クレジットカード会社との提携)D中日新聞販売店によるリサイクルステーション開催案内とニュースレター、といったような活動が「行政の施策形成に大きな影響を与え、焼却・埋立型のゴミ処理から循環型のシステムへの舵取りを促した」といえる
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。(図2
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参照)。なお、図3
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は再利用資源をめぐる循環において中間処理施設がどのように位置づけられるかを示したものである。
また、インターネット情報を検索すると、上記自治体におけるごみ対策に携わった山本氏が運営する「ダイナックス都市環境研究所」のページがある。その内容が参考になると同時に、塩谷広域行政のごみ処理施設設置を考えるにあたっても適用可能な多くのヒントが詰まっているように思われる。とくにこのページの「イベント案内」における「第76回廃棄物資源化研究会」(http://www.dynax-eco.com/sigenka/s-zentuji-houkoku.html)には、香川県善通寺市における「善通寺方式」の紹介や、高知県安芸市や岡山県津山市の取り組みなどが掲載されている。
図1 狛江市の取り組みのフロー
資料:http://www.dynax-eco.com/
「ダイナックス都市環境研究所」のホームページより。
図2 中部リサイクル運動市民の会の活動体系
図3 ごみ処理・再利用の総合モデル体系
やはり、ごみ処理施設のみをテーマとして掲げるのではなく、リサイクル社会・資源循環型社会のなかで、ごみ処理施設がどのように位置づけられるのか、行政と住民が一緒に勉強を続けていくなかで、候補地の選定も見えてくるのではないだろうか。「災い転じて福となす」ではないものの、ごみ処理施設の設置を例えば、「○○エコビレッジ」の創出といったように発想の転換によって、他部局と連携しつつ組合がまちづくりの一環として取り組む姿勢を前面に打ち出すことはできないであろうか(図4参照)。
例えば、エコロジーや環境をキーワードとして掲げ、地域通貨としての「エコマネー」を生み出すという発案がなされてもいい。現行の廃棄物・リサイクルをめぐる複雑・分立的な法体系
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についても、これを生活者レベルから分かりやすくかみ砕いて理解できるような工夫が必要である。そのことは成人のみならず、この地域に生きる子どもたちに対する貴重な地域学習・環境学習の場を提供することにもなるし、ごみ問題やリサイクルへの理解を幅広い世代に浸透させることになるであろうし、小中高などの初等・中等教育、大学などの高等教育機関との取り組みの協力・連携を生み出すことにもつながるように思われる。地域住民によるまちづくりを実践することにもなる。ごみ処理施設の設置を「エコ○○」と絡めて魅力的な施策として提示することは可能ではないだろうか。
図4 松陰エコビレッジ配置図
資料:http://www.setagaya-udc.or.jp/machisen/shinbun/pro/colectiv.html
「コレクティブハウス」のホームページより。